仁田山紬の買取価格と詳細
仁田山紬とは群馬県仁田山地方が発祥地となる紬で、仁田山地方は現在桐生市へと名前を変えています。
桐生(仁田山)といえば着物で有名な「桐生織」の産地ですが、桐生織は江戸時代前期まで「仁田山織」と呼ばれていました。
その仁田山織の中の紬が、今回ご紹介する「仁田山紬」です。
仁田山の織物に関する歴史は非常に古く、714年の奈良時代には絹織物を献上品として作ったという記録が残っています。
仁田山地方での織物に関する伝説として「白滝姫伝説」という話があり、現在でも桐生市川内町にある白滝神社には神体石が置かれています。
平安時代に仁田山出身の少年が宮廷の掃除で京都に向かい、そこで出会った白滝姫に一目惚れします。
二人はやがて惹かれ合っていったのですが、少年は農家の出身であったため身分の違う白滝姫と結ばれるのは非常に困難でした。ですが天皇の前で素晴らしい和歌を詠んだことで、白滝姫を故郷の仁田山へと連れて帰る許しを貰います。
仁田山に住むようになった白滝姫はそこで絹織物の作り方を伝え、その技術が仁田山織(桐生織)として現在に生きているとされています。
「仁田山」の地名も、白滝姫が「あの山は京都で見ていた山に似ている」と言ったことからそう呼ばれるようになりました。
仁田山地方の紬は室町時代までは質があまり良くなかったと言われており、まがい物のことを「仁田山の紬」と呼ぶ古い言葉があります。
ですが1333年には新田義貞が鎌倉攻めを行ったときの軍旗にも使われたとされ、1600年には徳川家康が桐生の絹織物を旗として用いたことからも有名になりました。
仁田山紬の質が向上したのは江戸時代になってからで、幕府の保護もあり伝統的な紬の他、糸錦や金襴緞子といった高級な織物も数多く生産するようになりました。
その頃になると仁田山織(桐生織)は他の地域からも高く評価され、奈良県などからの注文もはるばるやって来ていたようです。
仁田山紬か仁田山織(桐生織)か、また作家や製造方法などによっても買取価格に差が出てきますので定義は出来ませんが、1000円以上の買取価格は期待したいところです。 ですが紬ではなく「桐生織」となるととても価値が高いものもあり、一部の着物は3万円以上で取引されている事例も数多くあります。
仁田山紬をより高く売る方法
仁田山紬の着物の買取価格は「どの着物買取業者に依頼するか」によって買取価格・価値は大きく変動します。その為、本サイトではより高く仁田山紬の着物を売るために、複数の着物買取業者で相見積もりを依頼する事をおすすめしています。
ですが、「着物買取業者」と一言に言えど、着物買取業者はかなりの数が存在しますので、どこで相見積もりを取るかも悩まれるかと思います。その為、本サイトでは「おすすめの着物買取業者」に関しても比較ランキング形式で紹介していますので、これから仁田山紬買取をお考えの方は是非参考にしてください!