着物作家【鎌倉芳太郎】について紹介します
着物の種類 | 型絵染 |
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出征 | 1898年~1983年 |
出身地 | 香川県 |
重要無形文化財認定年 | 1973年(昭和48年) |
着物作家鎌倉芳太郎に関する詳細情報
鎌倉芳太郎とは「型絵染」の人間国宝で、沖縄文化の研究家として沖縄県の歴史の温存に貢献した人物としても知られています。
代表的なエピソードとして、戦後の首里城再建にあたり鎌倉芳太郎が残した資料を元に進められたことが広く知られており、膨大な数に上る研究が高く評価されました。
戦前に首里城の取り壊し意見が出たときは強く反対し、結果的に二度も首里城を守った人物だとも言われています。
鎌倉芳太郎が作り上げる型絵染の着物や帯の数々は、かつての沖縄着物からイメージされるような鮮やかな色合いを多用したものではなく、日常でも着用出来るような落ち着いた色合いで仕上げられているものが多いです。
ですが決して琉球着物の伝統から外れるものではなく、その組み合わせの妙こそが鎌倉芳太郎ならではの作品の特徴でもあります。
鎌倉芳太郎作の着物や帯は流通している数がそれ程多くなく、流行っている呉服屋でも数回しか取り扱ったことがない、と言われるようなケースもあります。
希少性が高く、かつ人間国宝の着物作家の作品となると、その価値から高価買取に繋がる可能性が極めて高くなります。
鎌倉芳太郎作の中には中古でも30万円前後の価値を持っているような着物もあり、着物作家全体で見てもかなり高額な価格帯で買取される傾向があります。
ですが鎌倉芳太郎の活動年から照らし合わせると、残っているのはかなり古くなってしまった着物だと予想されますので、状態によっては買取価格があまり高額にならないケースもかなり多いかと思われます。
けれども世界的にも高い評価を受けている着物作家ですので、状態が良い着物でも悪い着物であっても、買取価格は最低でも数万円は期待したいところです。
鎌倉芳太郎の着物は全体的な流通量が少ないために、業者ごとの買取価格にかなりバラつきが生じている可能性があります。
着物を売るにあたっては複数社で見積もりを取って買取価格を比較することを強くお勧めしますが、時間的な制約などで相見積もりが難しい場合、なるべく着物の買取実績が豊富で信頼のおける買取業者を選んで売るようにしましょう。
沖縄の着物作家として知られる鎌倉芳太郎ですが、実は沖縄県の生まれではなく香川県の出身なのです。
鎌倉芳太郎は香川県に生まれ、その後上京し東京の学校で美術を学び、卒業します。その後、文化省から沖縄県の学校で教諭になることを命じられ、沖縄へと向かったのです。
本州にはない美しい風景に感銘を受けた鎌倉芳太郎は、教壇に立つ合間をぬって、沖縄の民族衣装や建築物、絵画など幅広い芸術分野においての研究を始めます。
沖縄は1945年の戦争によって壊滅に瀕し大きな爪痕が残りましたが、鎌倉芳太郎が残していた沖縄に関する膨大な数の資料が役立ち、戦前の歴史を現在につなぐことが出来たのです。
鎌倉芳太郎は2年間の沖縄暮らしのあと再び東京へ戻っていましたが、自宅に火災が起こり、沢山の書物や資料を焼失してしまいます。 ですが沖縄に関する資料は奇跡的に学校の文庫に預けていたために残っており、この出来事に契機を感じた鎌倉芳太郎は沖縄へと戻り、琉球紅型の研究を始めます。 着物作家として活動するようになったのはなんと還暦に差し掛かる頃で、重要無形文化財「型絵染」の保持者に認定されたのは1973年、鎌倉芳太郎が75歳のときでした。
鎌倉芳太郎の着物買取をお考えなら
鎌倉芳太郎の着物の買取価格は着物買取業者の選び方次第で大きく異なります。ブランド品と異なり、オーダーメイド・一点物が基本な着物は【贅沢品】と呼ばれている事から、例えば100万円で購入しても、買取となると業者によっては1万円を切る買取価格を提示されることも往々にしてありえます。
鎌倉芳太郎のような作家の着物はもちろんの事、加賀友禅といった有名な技法を用いた着物など過去に高い金額で購入した着物を極力高く売る為には、着物を専門的に鑑定できる査定員が在籍している業者や着物の販売経路を多く持つ着物買取業者に依頼することは必須条件だといえます。
本サイトではより高く着物を売るために、複数の着物買取業者で相見積もりを依頼する事をおすすめしており、少しでも高く着物を売れるようにおすすめの着物買取業者も紹介していますので、鎌倉芳太郎の作品をはじめとした着物の買取をお考えであればそちらも是非参考にしてください。